世界の終わり

「明日世界が終わるんやで」なんて使い古されたボロ布のようなテーマでたびたび創作活動に耽るわけなんですけれども、未だにネタが尽きないんですね。ショートショートなり歌詞なりで学生の頃から使っとるので、もう10年くらいになるんでしょうか。知らない誰かの精神を乗っ取ったような気分で、各ストーリーの主人公になりきって妄想に勤しんどります。が、その時の立場、精神状態によってまるでテーマやオチが変わってくるんですね。結局世界は終わるんですけど。学生の頃のやつはだいたい「はよ終わってくれ」と主人公は願っとります。対して、働き出して自分で自分の生活を営むようになってからのものは、「終わらんでくれ」と慟哭するヤツもおったりなんかしました。環境変われば人間も変わるもんですね。

よく「死にたい」とか「消えたい」とか、そんな言葉を耳にしたり目にします。「殺したい」って方が近かったんだろうか。いや、「死にたい」だったかも。今となっては「殺したい」過去のような気もする。多分どうにか自分のいいところを一つでも多く探して、そこに向かってブンブン頷きながら肯定することで生き延びてきたんでしょう。ガチもんの自殺予備軍様方に比べると甘々の甘ちゃんよ。現実逃避の一環じゃなかなか死ねねえもんね。「殺す!」くらいの覚悟ないと難しいんだろうか。他殺と自殺の年間割合、誰か調べて教えてください。

主人公たちは本当はみんな死にたがってなどいなかった。でも明日みんな死ぬんやでってなった時に、ほんの少し救われていた。理想と現実のギャップから解放されてね。持っていた高い理想や夢・希望についていけず、ぶっちゃけそんなにクソでもない現状を忌み嫌い傷つけて同時に慰める。弱い。弱い人間の自慰的思考回路である。しかし間違ってもいないのだ。実際救われてんだから。やっぱね、マスかくくらいじゃあごまかせても満たしは出来ませんわね。

幸い「死ぬ!」って言った大抵の人間には「死なないで!」って返ってくるもんです。世界は思う以上に優しく出来とります。返ってこないあなたは、ちょっぴりこれまでの善行が足りなかったんじゃないですかね。ま、この物語ではその世界にみんな殺されるんだけども。どんな顔して死にたい?