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矛盾している。理不尽だ。いけすかない。抗えない。選択することは、何かを諦めることでもある。君に夢はあるか。希望はあるか。その根拠とは何だ。選択を放棄し、ドロっとわだかまったそいつをこぼさぬよう、じっと抱えてるだけならば、さぞ空虚で夢も希望もない泥濘に仕上がっているだろう。

しかしそれはそれでも、こんなもんやでと受け入れられるならば、アイデンティティとして成り立つのも不思議でない。「空洞です」のように、突き詰めた完成形が「空虚」だったとしても、キャリア最高の完成度を誇る金字塔として、人々の心芯に刻まれたのだ。

クリエイターにおいて、「創作にかかる思想・技術」以外は、すべて不純物だというのが持論である。いくら稼ぐだとか、生活はどうするとか、売れる売れないとか、ありとあらゆる不純な動機をかなぐり捨ててモノは作られるべきなのだ。バラエティ番組には絶対出ない漫才師がいてもいい。女に媚びないバンドマンがいてもいい。収益を捨てるユーチューバーがいてもいい。もうほんと早い話、金が絡むとコンテンツが面白くなくなるのだ。他に収入源を作るべきだ。日雇いでもバイトでも、土日休みの過ごし方でもいいじゃない。理想は24時間365日、神経を創作に注ぎ込むことだけれども、創作はかかる熱のイノセントさを失った時点で「完成」する。良くも悪くもだ。後の創作は全て「エピソード0」とか「AFTER」の類だ。

どこまで突き詰めようと上記の類は「娯楽」なのだ。エンターテイメントなのだ。昨今の新型ウイルスの影響をモロに食らいながらも、行政の手がエンタメに厚く差し伸べられなかったのはもっともな話である。生きるために必ずしも必要なものではないのだ。仮に新しい娯楽コンテンツが二度と生み出されることがなかったとしても、今まで自分が好きだった思い出を貪るだけで、それなりに楽しくやっていけると思う。こんなことは言いたくない、が、娯楽はとっくに「完成」しているのだから。「懐かしさ」を追い求めた時点でもう出来上がっちまってるんだ。ノスタルジーを越えていくような創作を今現代のアーティストが作り、大衆が受け入れることが出来るのか。正直ね、僕はもう無理だと思うんだ。少なくとも、僕が生きてる間は。「進化」でも「変化」でも「再生」でもなく、本当に僕らが欲しがっているのは「創造」だ。これは全てのアーティストも願い欲するものだろう。

こんなクソほど分かりきったションベン臭いことを熱く語っちゃうのには理由がある。もう僕は何年も「新規開拓」をしていない。音楽、映画、美術、読書。今までに経験し、良いと分かっているものしか取り入れず、新しいものに手が出ない。ぶっちゃけ満足してるもの。

しかしだ、未だに新規開拓をし続ける分野がひとつだけある。「エロ」だ。ズリネタを探す時、僕はいつでも“一期一会”の気持ちで臨む。同じネタで抜くことはそうない。一つの動画を見つけてもさらに、その中でピークを迎える瞬間、抜きどころを模索し、10秒巻き戻し・早送りに勤しむ。これだけは何年も続いている習慣だ。

風俗においてもそうだ。まだ経験していない業態もお店も星の数ほどある。他の趣味もそう?馬鹿言ってんじゃないよ。音楽?読書?無くてもなんとか生きていけるだろうが。でもおじさんは脳みそから滲み出す性的欲求をどうにかしないと死ぬからね。3大欲求って言うくらいだよ。一生涯かける価値のあるテーマなのだ。

しかし、エロの現実は厳しい。新しいエロを開拓するにも結局、棒と穴の邂逅からは逃れられないのだ。常識の範囲だけどね。世界は広い。アダムとイブの時代から何も変わっちゃいないのだよ。

いや、ちがうか。それを違えてしまったら、音楽を尻の穴で聴くようなモノか。いずれにせよ、おっさんには時間と体力がないのだ。新しいものを取り入れ続けるのは体力を使う。必然的に時間も使う。エロだけで精一杯。

原稿用紙4枚分ほどの文字数をかけて俺は何を言っていたんだろう。今日はなんだか話がブレブレだ。結局のところ「不純物もなんだかんだ、良い味出すよね」ってなことが言いたかったのだろうと思う。新年、明けました。今年も、いや、今後ともよろしくお願いいたします。