取り立て

嫁と暮らし始めて早3年が経とうとしている。僕の気ままな1人暮らしライフを終わらせた嫁との甘い生活にまどろんでいる。小学生の頃から実家を出て暮らしていた僕は、誰かと同じ家に住むことに不慣れだった。なんか変じゃないですか?誰かと同じ家に住んでるの。パーソナルな空間の中に誰かがいるの。まあそのくらい当たり前だったんです。1人暮らしが。全然1人で旅とか、いや、お金ないからその辺の住宅街をチャリでさまようとか、でもこういう自分の当たり前を共有・共感できることがなかなかなくてですね。え、ないですか?オレンジの夕暮れに染まった全然知らん住宅街を通り抜ける時の、あのとんでもなく不穏でもの哀しいオーラを全身に浴びる心地よさ。泣けるんだこれが。不安で、縁もゆかりもクソもないのにノスタルジーで、孤独なようで、誰もが孤独でないことを改めてわからせてくれる。ふと我に返って安心する。ああ、俺は1人のようで、1人じゃない。ありがとうございます。こんな刹那的・衝動的・瞬間的なノスタル体験がな・ん・と!タダで!無料で!ちょっと時間とチャリこぐ手間があればできちゃうんですねぇ〜!金のかからない趣味はいいぞぉ〜!人の営みに金が関わるとロクなことの方が少ない!タダより高いものはない!ケチくさい嫌儲論で語ってるんじゃないですよぉ〜!

気持ち良くなれる手段、いくつ持ってますか?右手一本あれば十分だという殿方もいれば、棒一本あればという姫君もいらっしゃるはず。そんな話じゃない。男女の本質をひとつ話したい。男は何かを産ませる生き物で、女は何かを産む生き物だ、というのを聞いたことがある。なんだ下ネタか。ところが穴が、ち、あながち間違いでもないと思わなくもない。ん?どっちだ?だがその例えでいくと、人は男女ともにどちらかが欠けると何かを産み出せないのか?生産性がないのか?男同士は。女同士は。何も産み出さないのか?産めなくなった老人の存在意義とは?いかん差別的になってきた。しかしこの世は差別で出来ている。何も否定することなどない。平等に機会も能力も与えられるわけではない。だが、男にしろ女にしろ、人間はみんな何かを与え、産み出すことができる。与えられる人であれ。産み出す人になれ。与えられて当たり前じゃない。産み出して当たり前じゃない。優しく気前よくいこう。