疑え!

人の立場になってモノを考える。

人との営みの中で生きていれば、無意識のうちにでも多少なり身につき、実行している精神性である。他己(たこ)は俯瞰の第一歩だ。人の喜ぶことをやってナンボの世の中じゃないか。浪花節だの、我こそは平和の伝道師だのとのたまうつもりはないが、気前よく生きていきたいなあと思っている。

最近本を買いました。何だと思う?なんとまあ、投資の本でございます。冗談みたいな本を買ってしまった。しかしこれには背景がある。生まれてからの29年間、僕は「お金について学ぶこと」をとことん放棄し、目を背けてきた。できるならそういうのと縁遠いところでやっていきたいと思っていた。しかしながら、そういう時代ではなくなってきている。無知は死に直結する。このままおバカを続けているとマジで死ぬ。会社が、国が、誰かが無条件で死ぬまで守ってくれるわけがないのだ。自由度が広がっていくと同時に、「自己責任」の割合も増えた。ようやく危機感に目覚め、とりあえずやってみっかと行動してみるのだった。

「マンガでわかる シンプルで正しいお金の増やし方」山崎元

一冊目に手に取ったのがコレだ。マンガだし、とっつきやすそうだ。3分の2くらいマンガ。あとは文字。そこまで文字は苦じゃないが、1日1章くらいの頻度で読んでみた。自分の中の常識がみるみると覆った。小難しいのはそういう会社に任せたらいいじゃん、セミナー・人を頼りにしたらいいじゃん、ローン組んで買い物?金利?ええやん、こまけえこた気にすんな。ヤられた、俺は体の良いカモだったのか。何にいくら払ってるのかもわからなかった俺は、金の世界でとことん弱者であった。この体験からお小遣い帳をつけ始めました。まずは自分にできることから、ね。

この本の良い点は、「〇〇するな!」に対して「じゃあどうする?」のアンサーが明確にされているところだった。でもそのアンサーは「自分が正しい知識を身につけ、運用する」ということに終始している。アタマで考えることを放棄するなという点が強調されているように感じた。この本の中で「こうしろ!」と言われていることさえも、まったくもって正しいとは言い切れないという解釈さえ出来る。読者のケースバイケースなのだ。

しかしまあ、ここまで言い切って色んな偉い人を敵に回さないのだろうかと大きなお世話を焼いてしまっている。資産運用のしの字も知らない自分にとって、そんな邪推を生んでしまうくらい刺激的な内容とも言えた。月給手取りの3倍。それ以上のお金を銀行に預けていても「死に金」だという。僕の世代だと60〜100万円くらいでしょうか。まずはそんくらいの貯金を作らないとなあ・・・トホホ・・・

復習がてらチラチラ読み直す程度にも面白かったです。うす。

 

「ビジネスエリートになるための 教養としての投資」奥野一成

今読んでるのがコレ。当たり前だけど全部文字。でもそんなの気にならないくらい面白い。

まず投資と投機についての解説が入る。ここでいう投資とは、「長期的に利益を得るために、強い企業そのものへお金を預け、企業をさらに成長させることでリターンを得る」ということ。逆に投機とは?「短期的に大きな利益を得るため、市場にお金を注ぎ込み、企業価値が上がったところで利ざやを獲得する」。自分の言葉で書いてみたが、こんな感じと理解している。「投資」と聞いて思い浮かぶのは後者だと思う。だからこそシビアで妙にいかがわしいものだと感じる。モロにギャンブルだからだ。破滅のリスクも常につきまとう。ハイリスク・ハイリターンが投機。ローリスク・ローリターンが投資と解釈した。

農地に例えるとわかりやすかった。農地を購入し、「育てた作物を売って利益を得る」のが“投資”。「土地の値段が上がったところで売り、利益を得る」のが投機。どちらにも共通しているのは、事前の下調べを徹底的に行わなければならないのは両者のもちろんのことだが、その調べのポイントと、つきまとうリスク、リターンは明らかに違う。リターンが大きいのは明らかに後者だが、著者は「投機はするな」と言い切らないまでも、ここでの論調、自身の哲学は“投資”をあくまで推している。

A「まだまだ小さい事業だけど、これから伸びるんだよ。今買っといたらデカイよ」

B「もうライバルは駆逐した。新規参入も難しい分野だから今後も安定した利益が見込めるよ」

どっちの会社の株買いますか?Bこそがまさに著者の投資哲学である「長期(永続的)投資」の思想である。とにかくリスクを消す。そして買った株は「売らない」。はあ?じゃあどうやって利益出るの?てなものだが、「ほぼ永続的に成長が見込める企業の株を買い、そのまま放っておいて株価を上げる」ことで、長い時間をかけてゆっくり元金を増やせるのだ。これが長期投資のからくりである。

この本を読んでいると、ことごとく「バフェット」という人の名前が登場する。コカコーラの筆頭株主だそうだ。少数銘柄の集中投資によって巨額の富を築いた投資家らしい。著者はこの人のトレード方式を日本で出来ないか?ということを念頭に今活動しているとのこと。まあ心の師匠みたいなものだろう。

せっかくなので、コカコーラという例を挙げよう。現在炭酸飲料の世界市場において、コカコーラ社とペプシコ社がほぼ全てのシェアを二分している(らしい)。ライバルはとことん買収し、50何年と増収益を維持してきた。とんでもねえな。時々Appleに譲ることもあるらしいが、世界で一番株価の高い会社らしい。そんなん、もうてっぺん取ってるのにこれ以上増収なんかほんまにするんか?と思うが、あながちそうでもない。世界人口は増え続け、ときどきコーラ買って飲もうくらいの余裕が持てる中流階級の人がますます増えてくる。単純な話、人の暮らしが豊かになればなるほど、コーラは売り上げを伸ばすわけだ。インフラの整備や科学技術の発達などと、あながち無縁でもない。これだけ覇道を邁進していてもなお、まだ上がり目があるのだ。頭打ちになるのはさて、何十、何百年先になるのか・・・。

さて、この本のテーマといえば、タイトルにもあるように「投資的思考を身につけ、ビジネスに反映させる」。中心はここにある。投機じゃないぞ、投資だ。以下自分なりの解釈を述べる。投資はといえばお金を捧げることもそうだが、一番身近な投資先と言えば、自分の勤め先や取り巻くコミュニティがそれにあたると思う。「労働」だ。時間と労力を捧げることで、自分は会社から何が得られるか、また、どう貢献できるのか。ここを今一度掘り返して考えてみることにしようと思った。賃金はいくらもらえてるか。見合う対価があるのか。やりがいを見出せているか。時間と労力の使い方もまた、お金と同等に付き合っていかなければならないテーマだろう。思考停止が一番良くない。そんなことを読みながらふと考えた。あれ?脱線してる?いや、だとしても良いきっかけになったと、納得しておこう。うむうむ。

もうひとつ。投資が「会社を成長させる」という意味合いを持つならば、「経営者視点」にも通ずる境地を為しているのではないか。一介の平社員が何をのたまってんだと思う。自分のいる会社がより発展するには?というマインドは、ほとんどの所属する人間が無意識的にも実行しているだろう。そんなん、俺会社嫌いやし、会社が儲かろうが損しようが、給料さえくれたらええわ。という主義の人さえ、大小なり貢献して(しまって)いるのだ。投資的思考は、この覆せない事実をよりポジティブに実行・実現していくメソッドなのだと思う。労働者の視点のみから得られる恩恵は限りなく少ない。しかし投資的思考を身につけることが出来れば、どこの会社へ行ったってやっていける。自分で事業を起すこともまた然りだ。ま・じ・で、やらない理由はない。

最近の読書テーマは「お勉強」である。「お金の勉強」というのを、僕は学校でも職場でも習うことがなかった。しかし現代日本に生まれた僕は、この国で暮らす限り、資本主義経済から逃げて暮らすことなどできはしない。一生死ぬまで付きまとう命題なのだ。逆に考えよう、義務教育で習うことがなかったというのは、自分も含め周りの人間も大概同じなのだ。気付き行動する意義は大いにある。やるぞ。堅苦しくなったが、投資って面白そうだなと思った。今度は実際にやってみよう。ビビってるけど。行動しなきゃな。目標もなく、だらだらやるのも良かったけど、いささか退屈になった。退屈はいかん。退屈は殺す。生きた生活を送っていきたいやね。