この世のクズは食人鬼の夢を観るか?

その免罪符には裏がある。

2年ほど前になるのだろうか。俺が会社に紹介して雇ってもらった大学の後輩がいた。無断欠勤繰り返してトンズラしてしまったのだが。許されないことである。死んでも許すつもりはない。そこそこのお嬢の恋人をソープに沈めてヒモ暮らしを送るくらいの堕ちるところまで堕ちたら、声を上げて笑ってやろうと思う。あの手の人間が正道に戻れることなど、世界から戦争がなくなるのと同じくらい有り得ないことだ。度重なるチャンスを無下にし、ありのままの自分を甘やかしてくれるビニールハウスめいた温室に逃げ込んだ人間にかけれる情など持ち得ておらぬ。ウシジマくんレベルの世の地獄まで堕ちたとき、俺の失望は幾らか報われる気がしている。

さて本題。彼が無断欠勤を一週間ほどかましていた頃、途中で医療機関を訪れたそうだ。結果は、まあとある心の病のおそれがある、とのことだったそうだ。ここで俺ははっとした。俺と同じや、と。

大学生活4年目の終わり、学校に行くのも、部活に行くのも、ギターを弾くのも、飯食うことも、何もかもにやる気が起こらなくなった時期があった。何日か続いた頃、俺はうつ病なんじゃないかと思い始め、いやそんな訳はない、でももしかしたら、と恐ろしくなった。誰かに話聞いてもらってスッキリすれば、こんなこともなくなるだろうと、大学の学生相談室を訪れた。本来なら友達に言えばいいことだったのだが、そんな格好悪いところは見せたくなかった。相談室のカウンセラーさんに話を聞いてもらい、その過程でいくつかのテストを受けた。なんちゃらチェックシートとやらと、有名なロールシャッハというやつだ。結果はうつ病医療機関の受診を勧めると、診断表のケツには書いてあった。しかしカウンセラーさんは、この結果を100パーセント信じることはない、あくまで自分で決めることだと言った。俺はまた恐ろしくなっていた。こんな楽しくないのは嫌だ。こんなテストに決められてたまるかと、勧められた心療内科の予約日時当日にさえもまた逃げた。

そこから約1週間、自責の念はいつしか消え、残ったのは両親への罪悪感だけだった。ごめんなさい、こんな人間になってごめんなさいと、声にも出せない謝罪がワンルームの床に吸い込まれていった。外に出るのは相談室の予約時間の時のみ。腹は減らなかった。よく思い出せないが、家にあったなんらかの非常食や水道水と、たばこの煙を口にはしていた気がする。

相談室で泣きながらボロボロと後悔、不安、罪悪感、心の全てをさらけ出していくうち、一つのことに気付いた。ああ、俺の人生は空っぽだ。好きなことしかやりたくない、嫌いなことから逃げ回り、そんな自分を受け入れてくれる「優しい」人間とだけ付き合い、積み上げてきたつもりでいた20何年か分の人生を見立てた器に載っていたのは、汚い石ころのような塊が一つか二つだけだったことに気付いた。ここで初めて、俺に怒りという感情が芽生えた。何をやってるんだ、俺はまだ何もしていないようなものじゃないか。自分という人間を許せなくなった。これを気付かせてくれたという点において、俺は母校に感謝している。

気付いてからは早かった。もうほぼ留年は確定していたが、なんとしても卒業はしよう。そしたら働いて、自分の力だけで飯を食えるようになろう。散々甘えてきた人たちに感謝するとともに、何より甘やかしてきた自分自身との決別をするのだと、固く決意した。

まあそこからもまた色々あって、死んでやると大学の屋上から数十メートルの地面を見下ろしてみたり、コーナンで縄の棚をじろじろ見てみたり、「自殺 痛くない」とネットで検索してみたりしたこともあった。すべて直前でやっぱ恐ろしくなり、もう何人かの女の子たちと遊んでからでもいいかと踏みとどまった。自分の人生の転機は、間違いなくあの大学を卒業するまでの1年半の間にあったといえる。

話を戻そう。無断欠勤して精神科を受診した彼の話を聞いたとき、自分の「あの頃」を思い出した。あの時の自分自身を見ているようだった。つまり彼は今「転機」にいる。ボロボロの自分を乗り越えて新しく生まれ変われるチャンスとも言える。なんとか救ってやりたかった。仕事終わり、彼の家まで行き、2人でスーツを着て、社長室を訪れた。社長は、これまで休んだのはもういい、来週からちゃんと働いてくれと言ってくれた。約2週間欠勤し、連絡もよこさなかった社員に対し、最大の温情をかけてくれたと言える。有り難かった。その日の帰りに社長から五千円札を渡され、飯でも連れてってやれと言われた。俺はなんだか泣きそうになっていた。ああ、よかった。あの時の自分と重ね合わせた彼がこれでどうにか救われるのか。寿司屋に寄り、彼を家まで送って、土日の休みを迎えた。いつもは嫌いな月曜日もいくばくか憂鬱な気持ちが薄れた。

月曜、彼は来なかった。連絡は繋がらない。そうきたか。家まで行こうと午後から出社にさせてくださいと社長・専務に訴えたが、もういい、そっとしとけと言われた。終わった。彼は、重ねたあの頃の俺は、救われなかった。どれだけ周りのサポートがあろうとも、優しかろうとも、結局自分を変えられるのは自分自身なのだと、俺はかつての体験をそこで思い出し、悟った。

免罪符が欲しかったのだ。自分の好きなことを好きなだけ出来て、周りもそれを受け入れてくれる確たる証拠が。俺や彼にとってそれが「うつ病の診断書」。うつ病にどういう経緯で罹るのか、専門家ではないから分からんが、少なくとも自分のような「どうにもならないわけではなく、努力次第でどうにかなる」程度の状況・心理状態ならば、日にちが過ぎれば勝手に元に戻る。心の風邪みたいなものだ。一生ものにするかその場限りに済ませるかは本人次第。俺も本心では、「うつ病」の肩書きをもらって楽になりたかった。はっきり乱暴に言ってしまえば「甘え」なのである。「楽したい」だけなのだ。理由はどうであれ、ここで逃げるということで、自分の肩書きにはもちろん、あらゆる思考の際に「うつ病」という文字が刻まれ、一生ついて回る。一生もののハンディキャップを背負うことになるのだ。これが「普通」でなくて何かね。社会的に大きな傷を負うことに間違いはなかったのだ。

ちなみに彼はというと、1ヶ月後か何かに、大学の仲間との飲み会に姿を現し、いつもの感じで、いつもの姿で「ちゃんと退職届出して辞めたから大丈夫」と触れ回っているようだった。控えめに言ってもいっぺん殺してやろうかと思った。これで彼は優しい優しい温室の仲間に再び迎え入れてもらい、めでたくクズへの逆戻りを果たしたのである。

まあ俺も、入れ込み過ぎたのだろうと反省している。自分の姿を彼に投影し、なんとかしてやろうなどと偉ぶった考えを起こしたことが間違いだったのかもしれない。クズはどこまでいってもクズだったのだ。変えられるのは本人だけ。俺がなんとかしてやるなどと思うのは驕りが過ぎた。さようなら、もう一生線が混じり合うことはない。そっちの世界でぬくぬくと、優しい優しい仲間たちと楽しくやってくれ。そしていつの日か地獄を見た時に教えて欲しい。「これで本当に良かったのか」と、その答えを。 そしたら今までのことを全て笑い飛ばして、「こう」ならなくて良かったと、安心出来るのだろうかな。それはそれで、想いを馳せられる気がしなくもない。

その免罪符には裏がある。

OBライブを終えて

日記のネタもなく、ライブ終えての感想などタラタラと書いてみましょう。

自分のライブに対して思ったのは、首が固い。高く跳べない。頭では「うおお」と動かしているつもりなのに、身体が暴れ方を忘れてしまったようだ。初心は忘れずのパッチではあったが。うひえー死ぬ。死ね。三半規管がバカになっている。

久しぶりに人様から褒めていただいた。普段の行いですかね。舞い上がってしまって「でゅふふふぅ」とエアー音漏らしまくる故障したコンプレッサーと化し、お礼を言いそびれてしまったような気がしている。2回生の頃くらいまではたびたび先輩から褒めてもらえることもあったが、上回生になるにつれてそんな機会は少なくなっていった。そして就職などしてしまえばそこは「できて当たり前」の世界。褒めて欲しい。1日の半分を勤労に費やし日々を営む俺を褒めて欲しい。やって当たり前とか言うな。そんなんだから離職率どうこうで求人サイトからの風当たりが強くなるんじゃ。褒めろ。褒めておだてりゃ調子に乗る。良い意味でだぞ。ゴリゴリにしごいて調子悪くすっからぞろぞろ辞めてくんだろうよ。

話が逸れた。まあみんな楽しそうだったし、総じて良いイベントだったのではないでしょうか。とは思うけれども、家に帰ってシャワー浴びて、さて行為にでも勤しむかとパンツのヒモに手をかけた頃、どうにも心がモヤついていることに気付いたわけでですね。これでええのか、と。ええ、良くなかったんですよ。

後輩が普段やってる、まあかつて自分もやっていた教室でライブさせてもろうたんですがね、ただただ自己満足とノスタルジーに浸っているうちに終わってしまった気がしてならないんです。「こんなライブにはしたくないなあ」と思っていたそのカタチにおさまってしまった気がしてならないんですよ。結局俺はあのイベントを通して何がしたかったんだ?残ったのは筋肉痛と耳鳴りと、後悔にも似た謎のモヤついた感情ひとつである。こんなのわざわざ母校の教室借りて現役生巻き込んでやるもんじゃない。もっと何かやれることがあった気がしてならないのだ。

意味がなかったとは言えるはずがない。少なくともあの教室でまたライブをできたことは、他のどんなハコでやるよりも意味があった。実際そう言ってくれる人もままいた。ありがたいことだ。しかし、一緒にやってくれた後輩たちのこれからに対して何かしらの方角を示すことが出来たのだろうかと考えると、うぐぐ、と歯がゆくなってしまう。求めすぎだろうか。でも何かあった、これ以上の意味・意義を生む感動を示すことがもっと出来た気がしている。悔しい。

幸いなことに、教室がなくなるのは来年度末のことで、もう一回くらい出来るんちゃうかとチラッとお誘いをいただいた。リベンジのチャンスはある。しかし俺1人の自己満足で終わらせてしまう気は毛頭ない。1人でも多くの、このライブに関わった人間に1ミリでも多くの感動を。もっと、もっとだ。楽しくやろうぜ。俺の願いはそこひとつだけなのだ。待ってろ、G500。

世界の終わり

「明日世界が終わるんやで」なんて使い古されたボロ布のようなテーマでたびたび創作活動に耽るわけなんですけれども、未だにネタが尽きないんですね。ショートショートなり歌詞なりで学生の頃から使っとるので、もう10年くらいになるんでしょうか。知らない誰かの精神を乗っ取ったような気分で、各ストーリーの主人公になりきって妄想に勤しんどります。が、その時の立場、精神状態によってまるでテーマやオチが変わってくるんですね。結局世界は終わるんですけど。学生の頃のやつはだいたい「はよ終わってくれ」と主人公は願っとります。対して、働き出して自分で自分の生活を営むようになってからのものは、「終わらんでくれ」と慟哭するヤツもおったりなんかしました。環境変われば人間も変わるもんですね。

よく「死にたい」とか「消えたい」とか、そんな言葉を耳にしたり目にします。「殺したい」って方が近かったんだろうか。いや、「死にたい」だったかも。今となっては「殺したい」過去のような気もする。多分どうにか自分のいいところを一つでも多く探して、そこに向かってブンブン頷きながら肯定することで生き延びてきたんでしょう。ガチもんの自殺予備軍様方に比べると甘々の甘ちゃんよ。現実逃避の一環じゃなかなか死ねねえもんね。「殺す!」くらいの覚悟ないと難しいんだろうか。他殺と自殺の年間割合、誰か調べて教えてください。

主人公たちは本当はみんな死にたがってなどいなかった。でも明日みんな死ぬんやでってなった時に、ほんの少し救われていた。理想と現実のギャップから解放されてね。持っていた高い理想や夢・希望についていけず、ぶっちゃけそんなにクソでもない現状を忌み嫌い傷つけて同時に慰める。弱い。弱い人間の自慰的思考回路である。しかし間違ってもいないのだ。実際救われてんだから。やっぱね、マスかくくらいじゃあごまかせても満たしは出来ませんわね。

幸い「死ぬ!」って言った大抵の人間には「死なないで!」って返ってくるもんです。世界は思う以上に優しく出来とります。返ってこないあなたは、ちょっぴりこれまでの善行が足りなかったんじゃないですかね。ま、この物語ではその世界にみんな殺されるんだけども。どんな顔して死にたい?

無駄はある

大学の同期5人で飲みに行った。僕が餃子が食べたいと言って、J太郎がなんばの美味い店を予約してくれたのだが、言い出しっぺが1時間強遅刻してしまったのだった。20時半集合だったにもかかわらずだ。申し訳ないと思っている。

遅れて僕が店に入ると、思ったよりみんな暖かく迎えてくれた。どうやらJ以外全員が遅刻していたらしい。15分毎に1人増えていき、最後に僕が現れ、晴れて5回目の乾杯コールが鳴り響いたのだった。いわゆるひとつの労働災害みたいなものだろう。

僕が来るまで何の話をしてたのか聞いてみた。まっちゅんのセックス事情と、難波秘○倶楽部についてだった。いいネタだ。彼のセックスは至ってノーマルで何かに例えようがないから伝えられないということだった。まあ自分の彼女とのアレコレを人に話すというのは気がひけるものだろう。逆に、自分の彼女がこんな場で「平日は誘っても無駄。ヤっても15分だし」とか、「乳首弱すぎてさ、シャツの上からこするだけで声あげてよがっちゃうの」とか宣っているのを想像したら、羞恥のあまりその辺の穴という穴に、耳なりペニスなり引きちぎって投げ込みたくなっちまうね。プライバシー?コンプライアンス?はて?

「まっちゅんはアレやろ、スイープするんやろ」

「なんで?スイープやねん」

「こう(左指をうねうね)いう感じ」

「超絶テク持ってるんやな」

「ずっと俺のギターソロ!みたいな」

「ちゃんとセッションしとるて」

「俺はちゃんとJ-POP奏でとるで」

「どういう意味や」

「Aメロ、Bメロ、サビ、しっかり構成してるゆうことや」

「やるやん秀逸」

「やっぱヤマは作りたいよな」

「USオルタナみたいなどこがサビかわからんようなやつはあかんで。飽きよるからな」

「やっぱJ-POPやな」

「でもやっぱ『死ぬ…』って一度に一回は思わせたいねん俺は」

「尽くすタイプやな」

「それなんかちゃうくない?」

「スポーツみたいになってまうやんか」

「いやセックスはスポーツやで」

「いややっぱコミュニケーションやからやな」

「お前はずっとスラップやろ(右手フリフリ)」

「さっきからほんまくそしょーもないて」

「まっちゅんを一回風俗に連れて行きたい」

「俺は、絶対遠慮しとくわ」

「固いな〜3万払ってケツ責められてきてーや」

「ローションあったかくてめっちゃええで」

「3万は高すぎるわ」

「でも値段と質は比例しよるで。60分1万円以下の店なんかはサービス鬼悪い」

「待合室におる客層も、人生捨てましたみたいな風貌のおっさんばっかやしな」

「秘○倶楽部の待合室、ピカピカやし客のモラルもめちゃええ感じやったで」

「今度は普通の風俗も行ってみたいわ」

「任せとけ。電車でGo Goやで」

「擬似痴漢電車のアレやな」

「まっちゅんも行くやろ」

「楽しそうやな〜」

「行かんやつやわ」

思い出せる範囲で書いたが、誰がどう喋ったかもあやふや。はっきり覚えてるのはJ太郎、この中のひとつしか喋ってないゆうこと。むっつりJ。「3万は高過ぎるわ」いただきました。

くもり空から

里崎ちゃんねるを見ていて気付いたこと。彼の「こんにちは」はそこそこにクセがある。文字に起こすと「うんちょっ!」である。体育会系の挨拶は総じて音節が2つ。ところによっては1つだったりもする。以下例。

「おはようございます」→「デァース」

「こんにちは」→「うんちゃー」、「チャッ」

「こんばんは」→「ンボヮー」

「ありがとうございます」→「ありゃぁす」

「失礼します」→「セィシャス」

「はい」→「はい」

「いいえ」→「イエッ」

「すいませんでした」→「スァセンシタ」

なお、上記のほとんどは目上の人間に対しての業界語である。目下に対してはほぼほぼ「うぃ」か「ゼィース」。「うっす」の派生形みたいなものだろう。

環境によって違いもある。知人の部活は先輩後輩関係なく殆どの挨拶が「ウッス」だったらしい。これには「あらゆる挨拶を発しやすい言葉一つにまとめることで会話がスムーズになり、効率がよくなる」という理由があるらしい。ほんとかよ。

反対にあらゆる挨拶をきっちり一言一句言わなければならないというところもあった。「うんちゃっ!」などと言ったら「なんやそれは!ちゃんと言え!」と叱責されるそうな。しかもそれを全員で徹底するから、監督がみんなの前で何かしらありがたいお言葉をいただいた時なんかには、何十人分のハキハキした「ありがとうございます!」がきっちり揃って聞こえるそうな。

ちなみにうちの会社も体育会系あがりが多いから、社長専務含め上司先輩にもこれでほぼ通じる。でもバリバリの文化部や帰宅部出身者はわりかしちゃんと挨拶してる。その方がもちろん良いんだけどね。なんせ社長専務も野球部出身だし…。残業の多さや詰め詰めの予定とかそういうとこにも出てるよな、体育会的意識。美しいとは思わん。が、否定しきれないところが、体育会系出身のやなところですわな。

OBライブ出演者“追加募集”について

こんばんは、すっかり夜が寒くなりました。汗かいたら着替えてね、寒かったら1枚羽織ってね、風邪ひかんようにね。

 

さて、皆様にひとつお知らせがあります。タイトル通り12/1のOBライブ、バンドの追加募集を行います。要項は以下の通りです。

 

・1人あたり、2バンドまでの出演をOKとする。

・追加募集の上限は全体で15バンドまでとし、早く申請したバンドから優先する。

−現在11バンド受付中なので、残り4枠。早いもの順としますので、早めの申請をおすすめいたします。また、募集数をオーバーしてしまったとしても、どうにかするかもしれませんので、ご相談ください。

・募集しめきりは11/3(日)までとする。

−上記にもありますが、上限は決まっておりますので、早めの連絡をお願いします。

 

要するには、「1人2バンドまでオッケーにして、11/3までの早い者勝ち!」ってなことです。どうぞ!お早目の連絡をお待ちしております!よろしくお願いします!

 

ゆきち